2018/07/15 改訂版 「『あなたの悩み、分かるわ』詐欺に気を付けろ」「周りの人をカウンセラーにしない」「人生なんて相談しても仕方がないことが多い」

マリー・アントワネットとミツコ ~国際結婚が生んだもの~

マリー・アントワネットとミツコ ~国際結婚が生んだもの~

※ 『ベルサイユのばら』 第一巻 マリー・アントワネットの国際結婚にまつわるコラムです。

ポーランドは2004年5月にEUに加盟しましたが、こちらの人に意外と知られていないのが、「EU生みの母は日本女性である」という話です。
(それを言うと、みんなに笑われるのですが……)

EUの基本理念となった『汎ヨーロッパ思想』を著したリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵の母親は旧名「青山ミツコ」、史上初めて外国人貴族と正式に結婚した日本女性として知られています。

1893年、平凡な庶民の娘に過ぎなかったミツコは、オーストリア=ハンガリー帝国の外交官として東京に赴任してきた青年貴族ハインリヒに見初められ、日本で結婚生活を始めました。2人の男児(次男がリヒャルト)にも恵まれ、夫婦は幸せそのものでしたが、1896年に夫の帰国に伴い、ミツコは今の西ボヘミア地方へと渡ります。

不幸にも、夫ハインリヒは結婚10年目に心臓発作で急逝し、ミツコはクーデンホーフ家の当主として広大な伯爵領を継承します。そして、 言葉や作法の違い、貴族社会の偏見にも挫けず、努力に努力を重ね、「黒い瞳の伯爵夫人」としてボヘミア社交界に大輪の花を咲かせました。

当時としては非常に珍しい日本人の母を持ち、その母親が異なる文化の中で懸命に努力する姿を間近に見て育ったリヒャルトが、国境を越えた平和な社会に思いを馳せるようになったのも当然至極であり、そういう意味では、ミツコという一人の日本女性の生き方が、それまで国境をめぐる争いに明け暮れていたヨーロッパ諸国の在り方に一つの方向を示したといっても過言ではないと思います。

ポーランドがEUに加盟した時、あるTV番組の特集でリヒャルトの名前は出ましたが、彼の母親が日本女性であることは話の口にも上らなかったことが私としては非常に残念でした。

国際結婚と言えば、マリー・アントワネットも同様ですが、ミツコが異国人の夫に献身し、立派な伯爵夫人たらんと努力したのに対し、アントワネットの方は、「フランス王妃」よりも、まず「自分自身」であろうとした印象があります。

たとえば、オーストリア皇女のプライドと母から受け継いだ価値観に頑としてこだわり、まるで宮廷社会に挑戦するかのようにルイ15世の愛妾デュ・バリーを無視したり、国政に背を向けて、プチ・トリアノンで自分だけの楽しみに耽ったりと、王妃としての立場をまるで省みない行動が相次ぎました。

その点、夫亡き後、クーデンホーフ家の当主として広大な伯爵領を治めたミツコは、一度、嫁いだからには「ここが死に場所」と腹を据え、従順ながらも誇りを失うことなく、相手の流儀に合わせてゆける日本女性の典型なのかもしれません。

ミツコの国際結婚は『汎ヨーロッパ思想』を生み出し、死ぬまで「オーストリア女」と罵られたマリー・アントワネットの振る舞いは、フランス革命の発端となりました。

異国から嫁いできた一人の女性の生き様が、歴史の全てを左右するとは言いませんが、『汎ヨーロッパ思想』も『フランス革命』も、国際結婚の産物であるように感じます。

日本女性の国際結婚がますます増えつつある今、第二、第三のミツコは現れるのでしょうか。

「EU生みの母は日本女性」という事が、ちょっぴり誇らしい私です。

黒い瞳の伯爵夫人と呼ばれた、若かりし日のミツコ
Mitsuko Coudenhove 1

ウィーンにあるミツコ・クーデンホーフの墓
Coudenhove and Coudenhove-Kalergi family grave, Vienna, 2017

ミツコにまつわる小話

1)名画「カサブランカ」に登場するラズロ(イングリット・バーグマンの夫役)はナチス・ドイツに敵視され、アメリカに亡命したリヒャルトをモデルにしていると言われています。

2)ゲランの香水「Mitsouko」はミツコをイメージしていると思っている人も多いようですが、実際には、調香師ジャック・ゲランが、クロード・ファレルの小説「ラ・バタイユ」のヒロインで、日本人妻のミツ子というキャラクターに感銘を受けて創りだしたものだそうです。しかしながら、ファレルが「ミツコ」の名前を知ったのは、ミツコ・クーデンホーフがきっかけかもしれませんし、そう考えると、やはり「Mitsouko」のモデルは彼女なのかもしれないですね。

こちらは写真で綴る、Mitsuko Coudenhove のトリビュート。動画の最後に、日本国旗とEU国旗が重なるのが意味深ですね。

こちらはミュージカル『MITSUKO』のCMですが、ミツコの生涯についても簡単に紹介しています。

この投稿は2007年~2008年にかけて”優月まり”のペンネームで『ベルばらKidsぷらざ』に連載した原稿のリライトです。
『ベルばらKidsぷらざ 東欧ベルばら漫談』の一覧はこちら

ミツコの勇気

追記:2018/05/16

初めて大和和紀のコミック『レディミツコ』を読んだ時、まさか自分も国際結婚するなど思わなかったので、ミツコさんの生き方にただただ圧倒されるばかりでしたが、今なら、ちょっとだけ、海を渡ったミツコさんの気持ちが分かります。傍目には大胆かつ無謀に見えても、その場の”勢い”でそうなったんだろう、ということ。

もちろん、IT全盛期で、日本の家族とも無料でビデオ通話が出来てしまう現代と簡単に重ね見ることはできません。ミツコさんの時代、オーストリアに嫁ぐなど、冥王星に移住するような勇気だったでしょう。

それでも、若い女性の情熱で、軽く飛べてしまった部分もあったと思います。しかも相手は十字軍の時代から続いている名家の伯爵さま、庶民とは比べものにならないほど強く、気高く、責任感あふれる方だったのかもしれません。

そんな彼女の恋が、遠い将来、EUとして結実するなど、当時、誰が想像し得たでしょうか。

ポーランドもEU加入後、著しい経済発展を遂げ、どこも見違えるように先進国化しています。

これも彼女の恩恵と考えるのは、日本人贔屓が過ぎるでしょうか。

一方、2019年には、イギリスのEU離脱が決定的となり、EUの存続も危ぶまれています。

絶えず、分裂、対立、合併を繰り返し、数世紀にわたって一つの型に落ち着いたことがない欧州ですが、世界大戦やテロを通して、平和の尊さが身にしみている市民の中には、もはや中世や大戦前の価値観はありません(一部の極端な思想を除いて)。政治的、経済的思惑に翻弄され、再び形を変えることはあっても、時代に逆行することはないと信じます。

オノ・ヨーコを筆頭に(?)日本女性が世界の檜舞台で活躍するのも珍しくなくなった時代、国際化の魁となったミツコさんは、ウィーンの空から、どんな目で私たちを見つめているのでしょうか。

『レディミツコ』では、日本の着物姿で舞踏会に出席したミツコが、胸元に挿した短剣の理由を招待客に問われた時、「日本人は誇り高い民族です。屈辱よりは死を選びます」(うろ覚えですが、そういう台詞でした)と即答し、彼女に否定的だった義父を驚かせる場面があります。

そのように、海外で生きる私たちも、そのように誇り高くありたいものです。

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参考文献

大和和紀(『はいからさんが通る』で一世を風靡した頃の)は、時代物を描かせたら最高に上手い。
ヒロイン像も、ヒラリー・クリントンみたいな強さではなく、大和撫子のしなやかさで、恋も人生もひたむきなキャラ作りが魅力的でした。
レディミツコを初めて読んだ時の感動は今も忘れません。

今では想像もつかない、IT以前の国際結婚。。。

ゲランのミツコ。

マリー・アントワネットとミツコ ~国際結婚が生んだもの~

最終更新日: 2018年5月17日 初回公開日:2007.12.06

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