2018/07/15 改訂版 「『あなたの悩み、分かるわ』詐欺に気を付けろ」「周りの人をカウンセラーにしない」「人生なんて相談しても仕方がないことが多い」

生きる海は一つ 対立を超えて共存共栄の未来へ

生きる海は一つ 対立を超えて共存共栄の未来へ

どこの世界も手厚く保護されるグループと、何でも後回しにされて取り残されるグループがあります。公的支援は公平が建前とはいえ、将来性のある方が優先され、すでに頭打ちが目に見えている方は十分な支援も受けられず、いっそう衰退する定めにあります。それが自然競争であり、淘汰といえばその通りかもしれませんが、人が暮らしている以上、淘汰で済まされない部分もあります。一番の要は、どこまで人が納得するかであり、数字重視の配分は、いずれ人の不満や失望を生み出すようになるでしょう。そして、それは社会全体を地盤沈下させ、後には無気力・無責任しか残りません。

本当の意味での『社会の衰退』は、数字よりも、未来や社会に対するマインドの低下に現れるものです。

本作では、マインドの衰退を防ぐべく、人々の希望となるような未来図を描こうとします。

自身の栄達が全ての建築家と相容れないのは、それが理由です。

このパートは海洋小説『曙光』(Kindle版)の抜粋です。
詳しくは作品詳細をご参照下さい。

概要

海洋政策シンポジウムの意見交換会では、ペネロペ湾開発の影で取り残される既存社会の不満が爆発し、推進派と言い争いになる。海の平和を願うリズは聴衆をなだめようとするが、場は荒れる一方だ。そんな中、ヴァルターが助け船を出す。一方、パラディオン計画は着々と進行し、リズはメイヤーから協力を要請される。強大な潮流が押し寄せる中、ヴァルターはある賭に出る。

抜粋

取り残される既存社会と支援される新興グループ:開発格差

※ 海洋政策シンポジウムに出席するが、パネルディスカッションでは、取り残された既存社会と、政府の手厚い支援を受けう新興グループの間で対立が起きる

定員一五〇名の小ホールはあっという間に満席になり、座りきれない人が壁際に立っている。
彼はどうにか一番左端の後方に空席を見つけ、グレーのパイプ椅子に腰を下ろした。

演壇のマルチスクリーンには、オンラインで参加している四名の主席パネリストが映し出されている。その手前に進行役と現地パネリストの席が四つあり、その右サイドに発言者を映し出す大型のプロジェクタスクリーンが設置されている。

やがて演壇に進行役とパネリストが姿を見せると、聴衆も居ずまいを正し、演壇のプロジェクタスクリーンに注目した。別会場の発言者はそこに写し出されるようだ。

討議はまず現行の海洋政策から始まり、産業、学術、生活など、様々な面から今後の展望を話し合った。何度も繰り返されている内容だが、実際に現地に暮らす区民の声が生で飛び交うのは非常に興味深い。とりわけ、政府の支援がローランド島、特にペネロペ湾に集中し、ローレンシア島のメアリポートや工業港など、既存のものがなおざりにされている事実に大勢が不満を感じている。数十年前、それが社会の中心になると信じて積極的に投資を行い、事業を展開し、人生の根を下ろしてきた人たちにとって、十年、二十年前とは比べものにならないような優遇措置により、ペネロペ湾の方がどんどん開発が進んでいる現実は、単なる制度の不公平感にとどまらない。ともすれば、人間の尊厳に関わる根深い問題であり、金さえやれば気が済むというものでもないだろう

一方、高度技能者の不足も深刻な問題になりつつある。

開発初期は高度技能者とその家族が大半を占めていたが、島が発展し、選択肢が増えると、その子供世代、孫世代は、まったく異なる分野に進むようになる。例えるなら、父親が造船技師でも、子供はIT業を選び、海洋の専門職を目指す層が減っているという話だ。教育システムを拡張して技術者の養成に努めるにも、設備投資、寄宿舎の増築、ステラマリスからの専門家の招聘など、必要経費は半端なく、その認可と予算申請に何年も待たされるのが現状だ。そうこうする間にも、現場は高度技能者の争奪戦、子会社は大資本に勝てず、やり繰りに奔走する間に、どんどん新しい設備やサービスが誕生して、顧客もチャンスも奪われていく。それを「競争」の一言で片付けられては、あまりに弱者が浮かばれない。なのに、トリヴィア政府は、ペネロペ湾の開発やウェストフィリア探鉱など、新しい事ばかりに注力し、この十数年、アステリアの発展を支えてきた既存の中小企業を見捨てるつもりか──という声が上がると、会場から大きな拍手が湧き、進行役もたじたじとなった。

次いで、不満の捌け口がペネロペ湾のアイデアコンペに向かうと、「第二の経済特区を作るという話は本当なのか」という意見がメアリポートの関係者から上がった。
「それについては、トリヴィア政府でも明確な答えは得られていません」
と区政の担当。

「だが、ペネロペ湾に総工費二〇兆エルクの高級リゾートを建設して、そこを拠点に第二の経済特区を作るというもっぱらの噂だ」

「そんな金があるなら、メアリポートの補修を急いだらどうだ。前から公約している工業港の拡張工事もだ」

皆が口々に不平を鳴らすと、
「二〇兆とは大げさな。まだ正確な試算もしていないのに、憶測で物を言うのは止めて頂きたい」
担当も強い口調で言い返す。

すると、窓際に座っていた中年男性が勢いよく立ち上がり、堰を切ったように訴えた。

それでもペネロペ湾に多額の予算を注ぎ込み、アステリアの中心に据えようとしているのは誰の目にも明らかじゃないか。それでなくても希少な産業用地を観光優先で無駄遣いして、資材置き場を確保しようにも、小企業には手が出ないほど土地も物件も高騰しているのが現状だ。立地の好い所に倉庫や工場を拡張したい企業もたくさんあるのに、景観を損なうという理由で遠隔に追いやられ、船着き場から遠ざかるほど負担になるのが分からないのか

次いで、隣に座っていた男性も顔を紅潮させ、
「いったい、政府はアステリアの何を見ているんだ。ローランド島はともかく、ローレンシア島ではメアリポート港、セントクレア港、産業港、いずれも補強や拡張の必要な箇所がたくさんある。アステリアを底辺で支えているのは、いったい誰だ。ペネロペ湾にクルージングに来る客が我々の製品を買ってくれるのか。我々の代わりにコンテナを運んでくれるのか。港だけじゃない。道路、住宅、学校、病院、全てが曲がり角に差し掛かり、今ここで舵を右に切るか、左に切るかで、将来が大きく違ってくる。だが、政府や一部の有力者からは、物事を公平に見ようという姿勢が全く感じられない。開発だ、発展だというが、大きくしたいのは自分のテリトリーだけじゃないか」

するとオンラインのパネリストが、「それこそ誤解ですよ」と弁明した。

まずは大きな可能性が見込まれるところから注力して、そこで利益を得れば、隅々まで還元しようというのが政府のシナリオです。小さな屋台を百戸並べても、ペネロペ湾のホテルが一夜で稼ぐ額には到らない。そして今は効率優先で物と人の流れを良くし、十分な体力を整えようとしている最中です。絶好の機を逃せば、あなた方が望んでいる港の補強や、住宅地の造成や、福祉施設の増設など、それに回す十分な予算を得ることも出来なくなるでしょう。これは単に戦略の問題です。一番目か五番目かの違いです。政府は完全に無視しているわけではありません」

「詭弁だ!」
最初の発言者が叫んだ。

あんた達は『後で分け与える』というが、その前に、自分たちに有利な法規を作って、周りに分け与える以上のものを独り占めするんじゃないか。その為の第二の経済特区だ。だいたい富裕層向けのレジデンスが一体何の役に立つんだ? 地元住民でさえ住宅不足に困窮しているのに、それは後回しか? 巨大建設に従事する数千の労働者をいったいどこに住まわせるんだ? 一時雇いの労働者が何千とやって来たところで社会には根付かないし、むしろ保護や支援で大変な負担になる。その行き着く先は、トリヴィアのように治安の乱れた分断社会だ。帰属意識も公共心もない仮住まいの人間が増えたせいで、一部は無法地帯になっている。いずれアステリアも同じ道を辿るだろう。後先を考えない経済政策のせいでな!

それを皮切りに、会場からは怒号や罵声が飛び交い、司会の声も通らなくなっている。
彼もこの場を収めなければと周りを見回すが、みな興奮して割り入る隙もない。

やがて、後方から「『海洋開発』の看板を掲げて乗り込んでくる企業や団体はみなグルだ」という声が上がると、「お鎮まり下さい!」と澄み渡るような女声が響いた。

一瞬、その場が静まると、プロジェクタスクリーンにリズの顔が写し出された。

「EOS財団の理事長、エリザベス・マクダエルです。皆様のご不満は当財団をはじめ、トリヴィア政府でも重く見て、慎重に審議を進めているところです。ペネロペ湾のアイデアコンペや第二の経済特区に関する風聞はいったん横に置いて、皆さまの意思を一つに合わせることに集中して頂けませんか。討議の場が荒れれば荒れるほど、一部の思惑通りになってしまいます。立場の違いこそあれ、望む未来は一つのはずです

その眼差しは以前にまして慈愛にあふれ、地上の諍いを憂うように濡れてきらめく。

「この三十年、あるいはそれ以前から、この海に尽力くださった方々のご苦労を私どもは決して忘れておりません。船を接岸する設備もなく、宿舎もなく、砂浜にテントを張って缶詰を口にしながら幾日も過ごした方もいらっしゃるでしょう。その方たちの必死の努力があって、アステリアはここまでに成長したのです。だからこそ感情的になり、問題を荒立てないで欲しいのです。押し問答になれば、最後は力の大きさで物事が決まってしまうからです。それよりは皆の声を一つにまとめ、共生の未来を拓きませんか。トリヴィアには、その声に耳を傾けようとする方もたくさんいらっしゃいます」

「では、その方々にお伝え下さい。いったい誰が窓口になってくれるのかと。我々には声を届ける術も、話し合う場もありません。経済特区管理委員会も海洋政策局も、結局は政府のいいなりだ。選挙によって区民の代表を立てる機会すらない。経済特区とはいえ、我々にも一つの独立した共同体という意識があるのです。我々が帰属するのはアステリアであって、トリヴィアではない」

男性が力強く主張すると、会場に再び拍手がわき起こり、
「行政区分を再編しろ」
「なぜ自らの代表を選挙で選ばせない」
という声が次々に上がる。

「ですから、今もっとも注目されるペネロペ湾で開発を推し進め、共同体としての許容力(キヤパ)を拡充しようと試みている最中です」
マルチスクリーン越しに、推進派と目されるトリヴィアの下院議員が意見を呈した。
「もう一度、ローレンシア島とローランド島の地図をじっくり眺めて下さい。この両島はどう頑張っても四〇万人が居住するのが限界だ。いや、そこらじゅう埋め立て、掘り返しても、一〇〇万に達するのは無理でしょう。ゆえに、今後の海上空間の利用法を考える上でも、ペネロペ湾の開発が重要な意義を持つのです。一つ成功すれば、二つ、三つ、可能性も広がり、内外の企業にとっても起爆剤となります。あなた方、地元企業にも儲けが循環し、経済全体の底上げが期待できるのですよ」

「だったら、ペネロペ湾以外にも、メアリポート、工業港、セントクレアにも目を向ければどうです」
初めてヴァルターが口を開いた。

「他を差し置いて、あたかもペネロペ湾だけが未来のシンボルのように語られるから、皆が不公平に感じるのです。今まで誰がアステリアの社会を支えてきたか、よく思い返して下さい。トリヴィア政府でもなければ、リゾートホテルのオーナーでもない、自腹を切って道路を敷設し、通信網を拡張してきた、名もない企業であり、労働者でしょう。ようやく基盤が整い、さあこれからという時に、今まで黙って見ていた連中に要領よくただ乗りされて気分が好いわけがない。経済戦略がどうあれ、報われるべきものが報われず、『力が全て』の状況になりつつあるから、みな怒っているのです

会場がざわめき、リズも信じられないように目を見開いた。

あなた方がどのように説明しようと、大衆を納得させることはできません。皆の粉骨砕身をまったく理解せず、『経済戦略』という、もっともらしい理屈で個々の不安や不満を押し込めようとしているからです。一般市民には到底手の出ない高級住宅を次々に建造して、公の配慮を感じるでしょうか。陸上の集合住宅に入居できない人が、安全性の確立されていない水上ハウスで事故の危険に怯えながら暮らしている実態をご存じですか。小綺麗なリゾート施設は投資の呼び水に過ぎません。それもブームが弾ければ簡単に沈水するでしょう。その時、後に残るのは、老朽化した浮体と空っぽの箱だけです。永久に続く社会の基盤にはなりません」

下院議員も一瞬気圧されるように口をつぐんだが、
「では、君には有効な経済政策があるのかね。大衆を納得させられるような、現実的な具体案だ」

彼もまた押し黙り、手詰まりのチェスプレイヤーのように思い巡らせたが、一瞬、プロジェクタスクリーンのリズに目を向けると、改めて下院議員に向き直った。

「俺には玄人はだしの政策を提示できるほど知識もキャリアもありません。けれども、理想とする社会について一見識は持っているつもりです。素人は黙れというなら、この世に会議も選挙も必要ありません。政治学と経済学を学んだ人だけで社会のことを取り決めればいいのです。でも、現実には、政治経済の専門を標榜する人がリーダーに立っても、何一つ解決できずにいる。なぜ政治のプロであるあなた方が、万人の納得するような政策を打ち出せずにいるのです?本当に『くにづくり』というものを真剣に考えるなら、皆が必要とするものを作って下さい。プールとミニマリーナ付きの十LDKの住まいではなく、四人家族が安心して暮らせる三LDKの手頃なアパートです。年に一度しか訪れない旅行者向けのフィットネスクラブではなく、現地の子供たちがのびのびプレーできるサッカーグラウンドです。これからも、この海を支えていくのは庶民の汗と良識です。その人たちが快適に暮らせる場所もなく、いったいどんな未来が望めるというのです? どうか、もっとよくアステリアの現状を間近でご覧になって下さい。空の上から報告書だけ目を通しても、決して人々の肉声までは聞こえないはずです」

「だが、それも豊かな財源があればこそだよ」
下院議員は切り返した。
「公団住宅を増やすにも、まず自治体に金がなければどうしようもない。金はあっても、儲かる見込みがなければ、企業も請け負わない。一振りで何でも湯水のように湧いてくる魔法の杖は何所にも無いんだよ。だから、魔法の杖になりそうなものを、まずは確保しようと言っている。それも木の葉が一枚くっついている程度のものではなく、降れば確実に実のなる魔法の杖だよ。それがペネロペ湾だ。君も一度、産業省が試算した経済企画書に目を通してみるといい。これが決して一部の便宜を図ったものではなく、アステリアの五年後、十年後を見据えた公正な計画だということが分かるはずだ」

彼が即答できずにいると、議員は彼を睥睨し、
「君ら反対派は、二言目には『庶民の生活を優先しろ』と言うが、それを支えるにも豊かな財源が必要だという事を忘れてもらっては困る。対案も提示できないのに、理想論だけ並べられても我々には如何ともしがたい。アイデアを述べるだけなら、誰にでも出来る」

だから、それを考えるのが政治家の仕事だろう
中年の男性が後方から揶揄した。
素人だの、玄人だのと言い出せば、庶民の大半は素人だ。その人と同じように、理想はあっても具体的にどうすればいいのか分からないから、政治は政府に委ねている。自称『政治のプロ』である、あなた方、政治家にだ。あなたの理屈でいけば、素人には物を言う権利もないと聞こえる。資格がなければ、社会への要望を口にすることさえ許されないのか。それなら、何のための意見交換だ。それでなくても、アステリアには自らの代表を選出する制度もないのに、どうやって要望を上に伝えればいいんだ?

さすがに議員が押し黙ると、最前列に座っていた若い男性が立ち上がり、
「結局、おためごかしの搾取なんだよ!」
と叫んだ。

うちの会社はもう二十年もメアリポートで船の修理工を営んでる。以前は景気もよかったが、今は港の老朽化と共に沈没寸前だ。それを、あんた達は『工夫が足りない』『次代に乗り遅れた』の一言で片付けようとするが、元々、資本もコネもない小さな会社がそう簡単に場所や設備を変えられる訳がないだろう。それも順当な競争で敗れたなら納得もいくが、メアリポートに関しては、明らかに政府の無策が大きい。その全てを個々の事業者の責任になすりつけて、メアリポート周辺の者が自殺しようが、飢え死にしようが、我関せずがあんた達のやりようだ。だが、我々にはその窮状を訴える術さえない。何故って、あんた達がここの住人を奴隷みたいに囲っているからだ!」

再び、あちこちから怒号が飛び交い、会場は騒然となった。

リズももう一度、呼びかけようとするが、あまりの激しさに言葉も出てこない。
ただただ長い睫毛を震わせ、(お願い、争わないで)と口の中で唱えるだけだ。

「どうぞ、お静かに!」
再びヴァルターの声が響き渡った。

「先ほどマクダエル代表理事が仰ったでしょう。争えば争うほど一部の思惑通りになると。どうか穏やかにいきましょう。叫呼と揶揄の応酬では、腰の重い政治家に代わって、この海の守護神になろうとしてくれているレディに失礼ですよ」

会場から失笑が漏れると、下院議員に向き直り、
「確かに俺に具体的な方策はありません。皆の気持ちを代弁するのが精一杯です。それでも素人意見ははなから無用とみなさず、どうか多くの人の願いに耳を傾けて頂けませんか。実際に、この海に暮らしているのは我々です。計算で導きだされる五年後、十年後の繁栄より、今、この瞬間の助けを必要としているのです

「……考慮しよう」
下院議員はそれだけ言うと、ひとまず議論を打ち切った。

騒然とした会場もひとまず落ち着き、ようやく司会者にマイクが戻ると、リズが「最後に一言、よろしいですか」と断りを入れた。

発言が許可されると、リズは今一度、皆の顔を見渡し、

どうか、今一度、思い出して下さい。初めてアステリアの海を訪れ、この地に根を下ろして何かを成そうと決意した日のことを。私たちは決してお金の為だけに道を選んだのではないし、自己の栄達だけを目指してきたわけでもないはずです。でも、その理想も、みなが一丸となればこそ。互いに不満をぶつけ合い、政府に憎しみを抱いても、何の解決にもならないばかりか、社会の混乱に乗じて、ますます身勝手な勢力が台頭することになります。私は皆さんの良心を信じます。どうか今一度、志を思い出し、無から築いてきた誇りを持って下さい。私も全力を投じて支援する心づもりです

光の萌芽と大衆の良心

※ 波乱のパネルディスカッションの後、海に向かいながら、幼いルークに語りかける

彼は意見交換会での彼女の勇姿を思い浮かべた。頑愚なクソじじいを相手に、若い彼女が一言申すのも大変な勇気だろう。

だが、彼女がどれほど感動的な事を口にしようと、社会は簡単には動かない。上から下までガッチリ押さえられ、弱い声は風に掻き消されるだけだ。

だが、不満を垂れるだけでは何の解決にもならないし、むやみに攻撃したところで報われるものでもない。階層間やコミュニティの憎悪は問題を見誤らせ、いっそう社会の無力化を招くだけだ。

そして、それを尻目に台頭するのが、オリアナやロバート・ファーラーみたいな連中だ。物の後先など考えず、勝てば正義と思い込んでいる。
彼らが祝杯をあげる頃、メアリポートは目も当てられない状況になり、仕事をなくした人とその家族は最後には行き場を失って、旧い港の泥の底に沈んでしまうだろう。

苛立つ気持ちを抑えるように、ぎゅっとルークの身体を抱きしめると、ルークは小さな足をぱたぱたさせ、きゃっきゃと笑った。声も、仕草も、全てが本当に可愛い。この明るい笑い声を、どうして大人の過ちで潰すことができるだろう。

君のもう一人のお祖父ちゃんが言っていた。海の深みには、いまだ輝いたことのない、あまたの光の萌芽が眠っていると。君だけじゃない。あの場で発言した人、発言はしなかったけど同じ思いの人、漠然と不安を抱えている人、既に失敗した人だって、全てが光の萌芽だ。きっかけさえ掴めば、輝きを取り戻す人もたくさんいるだろう。世の中は一人の超人で成り立っているわけじゃない。一人一人にいろんな知恵があり、優しさがあり、可能性がある。千人、万人と力を合わせれば、より多くの事を成せるだろう。このアステリアも決して茫漠たる水の平原ではない。これからまた、どんな風にでも成長できる。肝心なのは、何を指針とするかだ。社会から崇高な理念が失われたら、利己主義の蟻だらけになる。皆が好き勝手な方を向いて、餌を食い尽くせば、どんな健康な若木も育たないし、しまいには森を荒らしてしまう。個々に夢や利益を追い求める自由はあっても、社会の理念はまったく別次元のものだ。設計図を誤れば、どんな立派な建物も足元から崩れ去る」

彼はリングを脳裏に浮かべ、あれが実作できれば……と思い巡らせた。

だが、自身の仕事もままならぬ中、どうしてアイデアを煮詰めることができるだろう。そもそもあれが解決策と成り得るのか。それ以前に、実作できるのか?

そんな迷いを吹き飛ばすように、ルークが「だぁだぁ」と海に笑いかける。水面にさす光を両手いっぱいに抱きしめるみたいに。

「君にはこの海が故郷だね」
と彼が微笑む。

「思えば、俺の父さんもフェールダムの人ではなかった。カールスルーエからやって来て、運河沿いの小さな家に移り住んだ。それでも、フェールダムを心の底から愛して、死ぬまで堤防を守り続けた。それを当たり前のように受け止めてきたけど、父さんだって、カールスルーエを懐かしむ気持ちはあっただろうな」

彼は今一度、海の彼方を見やると、大きく傾き始めた陽の光を見詰めた。

「俺も何が絶対的に正しいかは分からない。でも、一つだけ確かなのは、失望と無気力からは何も生まれないということだ。君が大人になった時、そんな世の中になって欲しくない」

Product Notes

見晴らしのいい海のリゾートはいずこも破格の値段です。ホテルでなくて、家ですって。
こんな豪華な別荘をぽーんと買える身分になってみたいですね。

作中に登場する海岸段丘ですが、外観や利用法についてはこちらに詳しい解説があります。「台地農業」というのもあるんですね。

海岸段丘

海岸段丘の形成のプロセスはこちらに詳しく紹介されています。
//junji.la.coocan.jp/AC/kaigandankyu/index.html

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下巻の冒頭部を収録した無料版PDFはGoogle Driveにあります。
閲覧は無料です。モバイルでも表示可能。

//drive.google.com/file/d/0B-RKK97iKB34ZXZpU2RkanhQT1U/

最終更新日: 2018年3月26日 初回公開日:2017.10.07

海洋小説『曙光』MORGENROOD

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