2018/07/15 改訂版 「『あなたの悩み、分かるわ』詐欺に気を付けろ」「周りの人をカウンセラーにしない」「人生なんて相談しても仕方がないことが多い」

運命のプレゼンテーション 価値ある仕事と社会の礎

運命のプレゼンテーション 価値ある仕事と社会の礎

人と社会にとって一番大切なのは『伝えること』です。気持ちも、アイデアも、相手に伝えないことには始まりません。

一方、『伝えること』には、常にリスクも伴います。無視、誤解、反発といった、ネガティブな反応です。

だからといって、伝えなければ、誰にも理解されません。何も言わずにおれば、安全圏にいられるかもしれませんが、声をあげなければ社会の中で存在しないも同じこと。ここぞという時は、身体を張って伝える勇気を備えることも、この社会を生きる上で、大事な能力の一つだと思います。

子供の頃から言葉の問題を抱え、鼻づまり、緘黙症、孤立癖など、誤解されることも多かった主人公ですが、町のため、愛する人々の為、絶望から立ち上がり、行政の最高意思決定機関である本会議に一人で臨みます。

何が本当の意味で社会の礎となるのか、それは一人一人の尊厳に他なりません。

彼の言葉は大勢に響き、社会全体が大きな一歩を踏み出します。

このパートは海洋小説『曙光』(Kindle版)の抜粋です。
詳しくは作品詳細をご参照下さい。

概要

世論の後押しもあり、アステリアの全体構想『リング』のプレゼンテーションに臨む。『パラディオン』を設計したフランシス・メイヤーと推進派議員たちはあの手この手で潰しにかかるが、意外な展開が待ち受けていた。討論の場所は、いよいよ中央政界の本会議へ。(引用はここまでです)

抜粋

建築土木とメディア:公正な立場から論評する

※ リング・プロジェクトと全体構想を広く知ってもらう為に、著名な土木・建築の専門誌に特集記事を組んでもらうが、メイヤーが抗議にやって来る

リズはエイドリアンと共にエルバラードの中心街にある出版社『GRIDメディア・グループ』を訪れた。専門家向けの土木・建築誌で定評があり、近年は一般向けのインテリア誌やマイホーム・デザイン講義などにも力を入れている。

今日、本社を訪れたのは、業界ナンバーワンの売り上げを誇る土木専門誌『月刊コンストラクション』に、パラディオンとリングが取り上げられることになったからだ。

パラディオン問題はトリヴィアの建築・土木関係者の間でも関心が高く、建設の是非をめぐる最終判断に注目が集まっている。一方、リング・プロジェクトもローカルメディアを通じて徐々に認知されており、双方を取り上げて今後の海洋開発について論じるのが記事の主旨だ。

プレゼンテーションが五月十六日に決まったこともあり、編集部は突貫で見開き八ページの特集を組んだ。そして、昨日、『月刊コンストラクション』の七月号が刊行され、その反響を確かめる為にオフィスを訪れたのだった。

企画を持ちかけたのは、ウィレム・ヴェルハーレンだ。土木工学研究所の知り合いを通じて、編集部に特集を提案したらしい。編集部もタイムリーな話題を探していたこともあり、話はとんとん拍子に進んだ。

ズも発売直後にすぐ目を通したが、どちらも専門家の見地からメリット・デメリットが公正に語られ、技術的にも社会的にも考えさせられる内容になっている。それは両者をデザイン的に見比べる企画ではなく、土木工学と社会性について考察する良記事であった

リズは編集長に改めて礼を言い、また機会があればこの問題を取り上げて欲しいとお願いした。

アステリアの問題はトリヴィアの問題でもあるのに、パラディオンも海洋開発も、まるで他人事のように捉えられている節があります。トリヴィア市民の中には、なぜアステリアの海洋開発に何兆もの公金を使うのかと、計画自体に立腹している人も少なくありません。見解は様々でしょうが、プレゼンテーションは良いきっかけになると思いますよ。わたしも見てみたいですからね

六十半ばの編集長は英気にあふれる口調で答えた。

リズとエイドリアンは編集部を後にすると、ウィレム・ヴェルハーレンに御礼の電話を入れようと、エントランスホールの待合ソファに腰を下ろした。

その時、回転ドアの向こうから現れたのは、フランシス・メイヤーとペネロペDCの代表だった。

リズは思わず立ち上がり、エイドリアンも警戒するように前に立ち塞がった。

「やはり、あなたの差し金ですか」
メイヤーが穿つように言った。

「どういう意味です」

「一流誌を使って宣伝とは、あなたも姑息な真似をなさる」

「何の宣伝ですか」

「リングですよ。知らないとは言わせません」

「宣伝ではありません。興味深いテーマとして取り上げて下さっただけです」

「それにしては、ずいぶん仰々しい扱いですね。パラディオンの対案のつもりですか?」

「記事をよくお読みになれば分かることです。優劣をつけるのが目的ではありません」

「パラディオンとリングを同等に扱うのは、対案とみなしているのも同じですよ」

「では、編集長にお聞きになって下さい。刊行後、出版社に寄せられた意見の大半は、土木建設が社会に与える影響について深く考察するものです。どちらがデザイン的に優れるとかいう話ではありません」

「それでも、あなたが友人に肩入れし、自分の望み通りに物事を運ぼうとしているのが見え見えですよ。あなたはお父上に似てもう少し利口な人かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。浅知恵も過ぎると墓穴を掘りますよ」

「どうあっても無視なさるのですか」

「何のことです」

「あなたへの批判です。これだけ区民が不安に感じているのに、顧みる気も無いのですか」

「わたしは施主の望むようにデザインしただけです。そして、それが誤りとは思っていません。もうすでに審査の結果は出ました。あなたこそ、何故そうまでして対案を立てようとするのです。工費が負担というなら、それこそパラディオンの規模を縮小すればいい。そうした可能性を一切考慮せず、私情丸出しで旧社会に肩入れするから、一部に不信の目で見られるのですよ。わたしはまだ我慢というものを知っていますが、世の中にはそうではない人も大勢いる。誤解が憎悪に変わる前に、この一件から完全に手を引くことですよ。あなたは技術開発や教育福祉に献身されるのが一番似合っている」

言いたいことを一通り言うと、メイヤーとペネロペDCの代表は足早に去って行った。これからねちねち編集長に絡むのかと思うと、軽蔑の念さえ湧いてくる。

あの人たちは何も分かってない。なぜ区民が腹を立てているのか、リングに興味を引かれるのか。異議を唱えている人も、デザインそのものに不満があるわけじゃない。何をも顧みず、自分たちの都合で押し通そうとすることに疑問を感じているのよ。でも、メイヤーは自身のプライドに拘り、ペネロペDCは利害しか考えてない。そんなので歩み寄れるわけがない

リング・プロジェクト:海の中に大地を現す

※ リング・プロジェクトの構想を市民に広く伝える為、本会議でプレゼンテーションに挑む

「Luctor et Emergo――わたしは闘い、水の底から姿を現す。これが俺の一番好きな言葉です。

アステリアもまた水に沈んだ世界です。惑星表面積の九十七パーセントは海洋に覆われ、居住に適した土地は僅かしかありません。いずれ社会の成長も頭打ちになり、庶民は深刻な住宅問題や用地不足に直面するでしょう。住まいのみならず、製造、物流、貯蔵、研究、あらゆる分野で競合し、海洋社会のポテンシャルも潰えるかもしれません。

しかし、ここに一つの可能性があります。

『リング(The Ring)』。

鳥瞰図が示すように、浅海の海底地盤の強固な場所に、鋼製ケーソンの外周ダムと重力式コンクリートダムの内周ダムを築き、内部の海水をドライアップして、海底面を現出するアイデアです。

直径十五キロ、創出される都市部の面積は約一六五平方キロメートル、人口数十万人が暮らすに十分な広さを誇り、用途に限りはありません。住居、工場、農地、競技場、エネルギー施設など、標準的なインフラを備えた近代的な都市を構築することが可能です。

鋼製ケーソンの一単位は幅一〇〇メートル、高さ五〇メートル。これを約四七〇個連結し、円環の外周ダムを構築します。

鋼製ケーソンの外郭にはニムロディウム合金を用い、徹底して耐久性を高めます。通常、ニムロディウム合金を用いた補強や防腐処理は、その他の製品に比べて二倍から三倍のコストがかかりますが、アステリアはこれを自給することができます。周知の通り、ティターン海台やウェストフィリアで採掘される硫化ニムロディウムの精製は、ネンブロットで採取されるニムロイド鉱石より安価です。全長四十五キロメートルに及ぶ鋼製ケーソンの加工に用いても、トリヴィア市内で同じ距離のリニア線を建設するより四割安いとの試算です。

一方、重力式コンクリートの内周ダムは排水と共に建設を始め、内側の海底面の状態を見ながら都市計画を進めます。

最も重要な課題である水管理については、外周ダムと内周ダムの間に幅一〇〇メートルの運河を設け、水管理と水上運輸の両面で役立てます。それに併せて、都市部にも小運河と排水ポンプを施し、浸水や増水の危機に備えます。

外周ダムの鋼製ケーソンの下部には海水交換型の防波設備を施し、ダムを圧迫する水量や水圧をコントロールします。ダムの外側から流入する海水はヒンジ構造の浮体によって砕波され、ケーソン内部の遊水空間に穏やかに流れ込むため、急激に運河の水位が上昇することはありません。流入する海水のエネルギーは、ケーソン内部のジェネレーターによって潮流発電に応用することも可能で、排水設備の省電力に役立ちます。

また鋼製ケーソンの内部空間を物資の貯蔵や産業廃棄物処理に利用したり、緊急時の避難スペースとして確保することもできます。技術が進めば、車道やライナーを敷設し、交通に利用することも可能です。

夜間にはダムの天端や運河の周辺をライトアップし、娯楽性を高めます。噴水ショー、ナイトクルーズ、ウォータースライダーなど楽しみは様々です。上空からはプラチナの指輪(リング)が輝いているように見えるでしょう。

外部との交通は主に船舶を利用します。外周ダムに大型タンカーや作業船が係留可能な浮体式構造物を連結し、物資は運河や跳ね橋を使って都市部に運び入れます。その他、都市部に垂直離着陸機の専用ポートを開設したり、海上空港を連結し、空路を確保することも可能です。

二重ダムに囲まれ、一見、閉塞したように見えますが、内周ダムの法面には緑化を施し、芝生や菜園、遊歩道に活用するので、心理的な圧迫感は軽減されます。ちなみにこちらがネーデルラントの自然堤防と干拓地です」

<中略>

一通りリング・プロジェクトの紹介が終わると、さっそく前列の男性が挙手し、「これだけ巨大なプロジェクトをどうやってマネジメントするのですか」と根本的な質問をなげかけた。

彼は用意していたシートをプロジェクタに表示し、「情報共有ネットワークを使います」と答えた。

マネジメント部門を中心に、設計、施工、財務、人事など、縦横に部課を配し、プロジェクトプロジェクトマネジメント・ソフトウェア『Open PM』と、コンピュータ支援設計『GeoCAD』を一体化したグループワークで結びます。リアルタイムの情報共有とオンラインの共同作業で、どこの部課、どの現場からも、必要な情報をすぐに取り出し、設計図の修正や材料の発注などが行えるようにするものです。これによって時間のロスや伝達の誤りが防げますし、その場で注意を喚起できるので、大きなミスの回避にも繋がります。各自が気軽に提案できるのも、共同意識を高めるのに役立つでしょう。数千人が関わる大きなプロジェクトですが、グループワーク・システムを使って各部課の進捗や問題点をリアルタイムに把握し、柔軟に対応することで、工期とコストの短縮を図ることが可能です。一番身近な例では採鉱プラットフォームがあります。採鉱システムのプロジェクトも、MIGインダストリアル社、エンジニアリング社、アステリア・エンタープライズ社、その他の関連企業や研究機関をイントラネットで繋ぎ、グループワークを行っていました。そのノウハウはリング・プロジェクトにも応用できるはずです。アステリアでは海洋情報ネットワークの構築に向けて通信インフラの拡充が進んでおり、これに相乗りする形で独自のグループウェアを展開します。またリング・プロジェクトで得られた観測データや実験結果を広く共有し、他の海洋産業や学術研究に役立てる予定です」

「リング・プロジェクトは私業ですか」

「最終的にどのような形態を取るかは分かりません。トリヴィア政府や経済特区管理委員の意向に大きく左右されると思います。当方は私業としてプロジェクトマネジメントすることは一切考えていません。リングは公共の財産です」

続いて、その斜め後ろに座っていた年輩の男性が挙手した。

「これだけの規模の海洋構造物を設置するとなれば、設計荷重として波力や流水圧の影響を非常に大きく受けるわけですが、算定に必要な実測資料はどのように入手するつもりです。今から計測を開始するなら、信頼のおけるデータを得るまで最低二年はかかるでしょう。それらも含めて『完成まで二〇年』と推定しているのか、あるいは、それ以上か。また実測はどのように行うのか、テスト構造物の設置や実験データの解析、それらを基礎設計にどう生かしていくのか、詳しく説明して頂けませんか」

「リングの設置場所は、ローランド島の南西部、ポルトフィーノ沖を考えています。理由は、海岸から一〇〇キロメートルにかけて平均水深二十五メートルの非常に堅固な海底地盤が均一に広がっているからです。このポルトフィーノ沖は、ローランド島開発が始まった三〇数年前、メガフロート(超大型浮体式構造物)を設置する案が持ち上がり、一六八年から一七三年にかけて波力や潮力、風力など、詳細に観測された経緯があります。また西のポートプレミエルから東のペネロペ湾にかけて複数の航路が存在し、気象、海底地形、波高、潮流など、様々な観測が継続的に行われています。これらのデータも有効活用できるでしょう。テスト構造物の設置については、アステリア土木協会の実験施設で模型実験を行った後、縮小サイズの鋼製ケーソンを設置し、段階的に規模を拡大しながら実施設計に反映する予定です」

「どれくらいの規模と検証期間を想定されているのか、教えて頂けませんか」

彼が少し詰まると、会場の中程に控えていた男性が立ち上がった。ジュン・オキタの実兄で、OKIエンジニアリングの社長でもある。

「リングの構造設計を手掛けた者です。専門的なことは、わたしから説明させて下さい」
と彼の代わりに受け答えした。

二、三、高度な意見のやり取りがあった後、質問者も納得したのか、「了解しました」と静かに着席した。

真の資本とは何か:人間力が社会を変える

※ リング・プロジェクトの是非が問われる中、ヴァルターは本会議に出席し、パラディオン推進派のマルムクヴィスト議員と議論を繰り広げる。

「パラディオンでも、リングでも、数兆の工費を必要とする点で負担になるのは同じじゃないか。そもそも、経済特区に制定されてから三十年にも満たないアステリアに、それだけのものを建設する価値があるのかね」

「それについては確かな裏付けがあります」

経済特区・管理委員長の答弁は明快だ。

「これらの統計をご覧下さい。人口、経済規模ともに、この三十年のうちに飛躍的に増加しています。ここ数年はローランド島に観光目的で訪れる客も十年前の五〇〇倍以上――いいですか、五〇〇倍ですよ――来年、再来年には更なる増加が見込まれています。またトリヴィアにはない安全と静けさ、美しい景観を求めて移住する市民も多く、来年から本格化するウェストフィリア開発に併せて、今後十数年のうちに数千単位の労働者および家族が流入することが見込まれています。またそれを支えるインフラ整備や不動産投資も急ピッチで進んでいますが、周知の通り、用地造成や埋め立て可能な場所は限られています。肝心な『区民の住まい』が不十分では、せっかく勢いづいた成長の芽も萎んでしまいます。区民としては、一気に用地を確保する方法があるなら、たとえ時間と工費がかかっても、今から準備を始めて、数十年先の用地問題に備えたいという考えなのです」

「区の考えは尤もですよ」と別の議員が言い添えた。「アステリアの発展はトリヴィアの活性化にも繋がる。数年で先細りするようでは、投資者も泣くに泣けんでしょう」

「だとしても、一旦、パラディオンに決まったものを覆してまで、海のど真ん中に巨大な干拓地を作る必要性があるのかね」

マルムクヴィスト議員が鋭い口調で言った。

「確かに氏のプレゼンテーションは感動的だった。わたしも思わず引き込まれた。だが、それは観客の立場であって、行政に携わる者としては断じてNOだ。考えてもみなさい。八兆かけて前代未聞の巨大なリングを建設して、そこは真っ新な更地だ。ビルが建つのか、畑になるのか、そもそも用地として使えるのか、確かなことは誰にも分からない。その点、パラディオンには明確な目的がある。居住、宿泊、オフィス、娯楽、小規模な製造も可能だ。あのように個性的で美しい海上都市なら数億、数十億エルクを出してもレジデンスを手に入れたい人も少なくない。確かに施設の維持は技術面でも財政面でも負担かもしれないが、それを上回る経済効果が見込める。だだっ広い大地以外に何のアトラクションもない、ただ花と芝生があるだけの空間にどんな求心力があると? 扇情的なスピーチに惑わされず、現実を見て下さい。誰がどう考えても、非現実的なのはリングの方です」

すると議長からヴァルターに質問があった。

「あなたは八兆エルクの工費とリングの実現性について、どのような考えですか?」

「工費については何とも申し上げられません。しかし、技術的には十分に可能ですし、調査や実証実験を進めれば、その可能性が明白になるはずです。土地の活用についてはパラディオンよりはるかに自由度や拡張性が高いと確信しています」

彼が確言すると、
「あんな洗面器みたいな町に住みたい者があるかね」
マルムクヴィストがあからさまに愚弄し、他の議員からも失笑がもれた。

「あなたは堤防に守られた暮らしも、海面より低い干拓地もご存じない。洗面器の底と仰るが、実際に居住区として活用するのは内側の緑化堤防から百メートル以上離れたエリアです。そこまで下がれば、緑化を施した高さ二十メートルの堤防に威圧感はありません。むしろ数軒先の大型マンションの方がはるかに圧迫感を覚えるはずです。実際の干拓地は、写真で見るより、ずっと広大で快適です」

「だが危険だ。万一、越水したらどうするんだ」

「仰る通り、百パーセント安全な構造物など、この世には存在しません。でも、それはパラディオンも同じことです。船舶も、工場も、エネルギープラントも、庶民が暮らす家屋でさえ、倒壊や火災の危険をはらんでいます。俺は数世紀を堤防で守られた国の民として言いますが、郷土愛と責任感に裏打ちされた技術は多くの危機から町を守るものです。災いが生じるとすれば、管理する人間の慢心と無責任ゆえでしょう。俺は故郷の技術と精神を信じます。それが水より脆いものなら、ネーデルラントはとおの昔に滅んでいます。God schiep de Aarde, maar de Nederlanders schiepen Nederland.(この世は神が創りたもうたが、ネーデルラントはネーデルラント人が造った)。これはアステリアも同じです。自らも様々な形で『くにづくり』に参加し、社会が育つ過程を共有することで帰属意識も芽生えます。それが将来的にはアステリアを支える力になり、世界でも稀にみる海洋都市に発展するのではないですか」

「それは理想だよ。第一、八兆エルクの工費を誰が負担するんだ。そもそも、どうやって、これほどの巨大プロジェクトを推進するんだね。まさか君がチームの頂点に立って采配を振るうわけではあるまいね。何の資格もキャリアもないのに」

「その通りです。俺には資格もキャリアもありません。だから『頭脳』を揃えます。あなたのように屁理屈を並べて、何が何でも自分の都合を通そうとする頭の固い人ではなく、公共心に富んだ生え抜きのブレーンです」

議場にどっと笑いが起こると、老いたキリンのようなマルムクヴィストの顔が歪んだ。

「議員の皆さん。そして、オンラインで視聴している方々。どうか想像して下さい。絵に描けば、洗面器のような干拓地にしか見えませんが、実際の十五キロは果てしなく広い。高さ三十メートルの丘もなだらかな線に見えるほどです。そこに家が建ち、農地が作られ、サッカー場もできます。ボートも浮かべば、トラムも走ります。広大な白紙の土地だからこそ、自由に町の形が描けるのです。
パラディオンもまたユニークなアイデアです。壮麗で、夢にあふれ、夜にライトアップされれば、観光客の目を釘付けにするでしょう。でも、実際にアステリアに暮らすのは庶民です。朝になれば学校や会社に出掛け、休日には家族で海岸の散歩を楽しむ、ありふれた日常です。
その日常を支えるには、パラディオンには幾つかの問題があります。それは常に落水の危険が伴うこと。都市部がグリッド状の構造物に作られる為、直径七キロの円環でありながら、実際に居住可能な面積は三分の一以下に過ぎないこと。そして、足元は全て人工の構造物であり、農業や酪農に応用するのは難しいという点です。アトラクションとして建設するには魅力的なデザインですが、社会の土台として考えた場合、果たして数十万の庶民の礎となるのか、疑問が残ります。
もし、数兆エルクの予算を投じるなら、何が社会の礎となるか考えて頂きたい。直径十五キロの海底面を全て牧場にする気かと嘲笑されますが、実際、ネーデルラントでは、それだけの規模の農地や牧草地が市民の糧になっています。冷凍野菜と加工肉と缶詰の果物が食品棚の半分以上を占める社会で、人々が心から食を楽しみ、健康な身体作りができるとも思いません。
もし、事故や災害で海上宇宙港が使えなくなったら、アステリアの人々はどうやって命を繋ぐのです? 魚もない、畑もない、工場とホテルで埋め尽くされた島で、自然な暮らしが続くと思いますか?経済が活性化することも重要ですが、礎あっての社会です。リングが作りだそうとしているのは、その礎です」

「君の言いたいことも分かるが、トリヴィア政府に八兆の工費を工面する余裕は無い。パラディオンに二十兆を出す判断があったのは、それだけの投資と購買欲が見込めたからだ。だが、リングは違う。未だ訝しく感じている者が大半だ。綺麗事ばかり並べられても、本当に役立つかどうか分からないものに八兆エルクも拠出するほど、政府もお人好しではないよ」

「だとしても、一考して下さい」

「何度も審議した上で言ってるんだ。多くの議員や関係者も同じ思いだよ。君の公徳心は高く評価するが、それだけで八兆エルクは捻出できない。理想と現実は別物だ」

あなたが八兆エルクの予算は出せないというなら、俺は八兆エルクに相当する無形の価値を示しましょう。この先、深刻な用地不足に直面し、労働者と家族が住む場所もなく、工場も建てられず、食糧さえ不足して、どんどん先細りする社会がいかに脆いか、それを示せば皆さんも納得するはずです。
俺には八兆エルクの札束を積み上げる力はない、けれども、それに相当する社会の青写真を描くことはできる。信頼おける頭脳を結集して、確かなプランを練り上げることができます。俺の周囲には、私利よりも公徳を重んじ、自らの知識や技術を喜んで提供してくれる人がたくさんいる。それが俺の資本です。
マルムクヴィストさん。あんたは本当の資本の意味など何も分かっちゃいない。目的意識と義心に支えられた人材は給与以上の価値を創出する。自分たちが住むわけでもないパラディオンの為に、精魂傾けて杭を打つ作業員がありますか。工事が終わればゴミみたいに切って捨てられると思えば、塗装も固定も適当でしょう。あなたは予算、予算と仰るが、煉瓦を積み上げ、ボルトを締める人の手にも意思があるのですよ
そして、人の意欲や誠実は賃金だけで得られるものではありません。仮にあなたが工夫一人に十分な給料を支払ったとしても、夢も希望も感じられない巨大建設に、誰が人生を懸けて打ち込むのですか? 俺なら価値を示せる。末端の作業員に到るまで、誇りの持てる仕事を提供することができる。一人一人が精魂込めて業務にあたってくれたら、そこに出来上がる堤防は最強のものになるでしょう。それが俺の八兆エルクの価値です。嘘だと思うなら、あなたこそアステリアに来て、皆の前で一説ぶってみるといい。パラディオンが次代の礎になるなど誰も信じてない。それがパラディオンの価値だ。あなた方が二十兆以上もの予算を投じて建設しようとしているアイデアの値打ちなんです。
もし俺にリングを任せてくれるなら、俺は必ず八兆エルク以上の価値を創出してみせる。海を割り、大地を現わして、人々の礎となるような都市を築いてみせます。俺は断じて金儲けのためにやるんじゃない。これからアステリアで生きて行く何十万、何百万の人々の為です。それがパラディオンとリングの違いです」

マルムクヴィストが押し黙ると、彼は再びトリヴィアの議場を見渡した。

「この中に一人でも実際にアステリアを訪れ、海と向かい合った人がありますか。遠洋に出て、海の脅威を肌で感じたことのある人があるのでしょうか? あなた方は下っ端が持ってくる現地レポートやメディアの映像を通して、何となく分かったような気でいるだけでしょう。嵐の海で命の危険を感じながら操船した経験もなければ、ウェストフィリアの凍りつくような冬を経験したこともない。まして職場の近くに手頃な住まいを見つけることができず、やむなく水上ハウスに暮らしている人たちの不安や不便など分かるはずがありません。
にもかかわらず、直径十五キロメートルの干拓地など不要だと、はなから切って捨てる論拠は何です? 四方を海に囲まれた小島の暮らしなどろくに知りもせず、干拓地の要・不要を下からもたらされる情報だけで判断しようとしている。あなた方の誰一人として、アステリアの未来を真剣に考えてはいない。考えてないから、目先の利益だけで未来を決めることができる。
もし、この場に本当に問題の本質を理解している人がいるならば、きっとこう言うでしょう。『大地こそ社会の礎』と。八兆エルクは数百年の時を超えて返済します。それだけの価値あるものを必ず創出してみせます

今度こそ議場が静まり返ると、彼は強い口調で言った。

「どうぞ、ご再考ください。リングが未来を変えます。五年、十年でスクラップになるような投資には決してしません」

引用はここで終わりです。

Product Notes

宮崎学氏の『談合文化 日本を支えてきたもの (祥伝社黄金文庫)』の一節です。

ここでは談合そのものの是非は横において、職人がコスト削減のあおりを受けるとどういう心理になるか、参考として紹介します。

私は、解体屋をやっていたことがあるから、建物を見ると、「こいつを解体するときはどうするか」「どの程度の手間がかかって、どの程度の余録があるか」などと値踏みするのがクセになっている。その目から最近の中国の建築を見ると、「これ、どうやって解体する気やろ。ヘリでも使わんと壊せんで」という奇っ怪なビルがあったりする。つぶすことを考えないで構造を設計しているから、つぶすとなったら死者が出ることになりかねないわけなのだ。あるいは壁をたたいてみて、「これはかなり鉄筋抜いとるな。地震でも起きたらヤバイな」とわかる手抜きビルなどが散見される。

だが、これらは、必ずしも設計ミスや手抜き・偽装ではない場合がある。そして、そうではないからこそ、むしろ恐ろしいのだ。手抜き・偽装といったものは、そうやってはいけないことは十分に承知しているのだけれど、諸般の事情からやむをえずそうやってしまうという性格の行為である。だから、確かに危険だけれど、決定的な危険まではいかないのが普通である。さすがに、そこはセイブするのだ。鉄筋何本抜いたらほんとにヤバイかは、やるほうがわかっている。それが手抜き・偽装である。

ところが、ミスかどうかも考えず、手抜き・偽装をしているという意識すらなく、「これだけのコストで、これだけのものを建てるにゃったら、こうするしかないやろ」ということでやられているケースがいちばんこわいのだ。

いま、日本でも、手抜きとは別の、背に腹は代えられない品質無視が、小さなところから始まっている。というのである。
「いま、ペンキ三回塗らなあかんとこ二回ですませとるのは、手抜きやなくて、コストに迫られてやむをえずやっとることや。これが続いて、「やむをえず」という意識が薄れていったら、コスト優先で品質はどうでもええというというところまで行く可能性はあるな。中国で起こっとることは他人事やあらへん」

「手抜きというのは、ああ悪いな……だけど、このくらいやったら、なんとかなるやろ……と意識してやっていることや。その意識がなくなったら、もうそれは手抜きどころか、根本的な間違いや。いま、日本でもそういうケースが増えてきとるよ」

そうならないようにする歯止めはどこにあるのか。むきだしの競争、ともかく勝たなければならん、あとはどうでもええという状態に、これまで歯止めをかけてきたのは、もともとは、組織された資本主義による競争の規制だったのではない。ただ勝つだけ勝ってどうするんや、おれらなんのためにものをつくっとるんや、という、実際にものづくりに当たっている職人や労働者の思い、そこからの抵抗が、歯止めになってきたのだ

これは建築土木に限らず、食品、製造、教育、医療、ネット産業、あらゆる分野で起きていること。

作り手の意欲喪失、存在意義の低下は、必ず品質に現れ、倫理観のみならず、安全、公正、開発、向上といった、「より良い社会」の原動力を崩壊させる。

規制や予算、技術力や競争力、うんぬん以前に、ものを作る人の心が損なわれては、どんな設備、どんな技術をもってしても、いいものは作り出せない。

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下巻の冒頭部を収録した無料版PDFはGoogle Driveにあります。
閲覧は無料です。モバイルでも表示可能。

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最終更新日: 2018年3月27日 初回公開日:2017.10.10

海洋小説『曙光』MORGENROOD

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