2018/07/15 改訂版 「『あなたの悩み、分かるわ』詐欺に気を付けろ」「周りの人をカウンセラーにしない」「人生なんて相談しても仕方がないことが多い」

民意か、自己表現か:公共の芸術としての建築

民意か、自己表現か:公共の芸術としての建築

安藤忠雄の連戦連敗』でも書いているように、建築は公共性の強い芸術であり、絵や音楽と違って、自分の好きなように作ればいい……というものではありません。一つ一つに巨額の建設費や維持費がかかりますし、一度作ってしまったものは、そう簡単に修正したり、取り壊せないからです。

本作では、デフォルメされたキャラクターとしてフランシス・メイヤーという建築家が登場します。現実には、ここまで極端な人はないでしょうけど、そこはドラマ仕立てということで。

後にエヴァが言う、「どこに作り手の心があるかは、デザインを見れば分かる」という言葉が全てを表しています。

このパートは海洋小説『曙光』(Kindle版)の抜粋です。
詳しくは作品詳細をご参照下さい。

民意か、自己表現か:公共の芸術としての建築

メイヤーは先の意見交換会も録画で見たらしく、
「あなたが既存社会に肩入れされるのは分かりますよ。むしろ肩入れしない方がどうかしている。古くからあの島で活躍している人々にとって、あなたは巫女のような存在だ。あなたの顔を見るだけで、人々は古き佳き時代を思い出す」

「古き佳き時代などではありません。今も人々が切実に求める理想です」

「One Heart, One Ocean ですか?」
メイヤーがいきなり本丸に斬り込むと、リズも息を呑んだ。

「あなたがスカイタワーのイベントで、『エメラルドグリーンのシフォンドレス』に『斑入りチューリップ』を持って現れた時に気付くべきでした。斑入りチューリップの花言葉は『疑惑の愛』、エメラルドグリーンは『緑の堤防』だ。仇討ちのつもりですか」

リズがぎゅっと唇を噛むと、メイヤーは軽くいなし、
「お気持ちは分かりますよ。あなたの友人にとって、わたしは不倶戴天の敵みたいなものだ。彼から話を聞けば、わたしは卑劣きわまりない野心家に見えでしょう。しかし、彼にも落ち度はあります。それは無知という、この世で最も恥ずべき欠点です」

「恥ですって?」

「どこの世界にも暗黙の了解があるものです。少なくとも建築や土木は、まともに学問したことのない人間がああだ、こうだと口を挟む世界ではない。無知なら無知なりに、おとなしく見ておればいいのです。それを正義の犬みたいに吠え立てるから痛い目に遭うんです。もっとも、彼の場合は意匠盗用という悪事がばれたわけですが」

「証拠があるのですか」

「彼自身が証拠です。自ら示談書にサインした」

「強要されたと聞いています」

「どのように脅されようと、身に覚えがないなら断固として争えばいいことです。覚えがあるからサインするんですよ。まったく、卑小きわまりない」

「それでも大勢が『緑の堤防』を支持した事実については、どのようにお考えですの?」

「大衆とはそういうものです。彼らに知性を期待する方がどうかしている。大勢が支持したからといって天才の証にはなりません。デザインとは、もっと奥深いものですよ。亡き父親の思い出で飾れるほど単純ではありません」

「あなたにとって、大衆の願いや気持ちはまるで無意味なのですか」

「芸術と同列で語るものではありません」

「ですが、建築は絵描きのキャンパスと違い、公共と深く結びつい芸術です」

「そうかもしれません。それでも素人にデザインはできないし、理解もできない。まともに耳を傾けていては、創造的なものなど生まれようがない」

「だからといって、町はあなた一人のキャンパスではありません。大勢の希望や理念を取り入れ、創造と公共性の調和を図るのがプロの仕事ではないですか?」

簡単に仰るが、大衆に高邁な理想などあろうはずがありません。彼らの望みは安っぽい娯楽であり、労せず手に入る安泰です。大衆の好みに合わせていたら、そこら中、キャバレーみたいな町並みになりますよ。時には作り手の創造性を前面に押し出し、社会に挑戦を仕掛けるから、何百年と語り継がれるユニークな建物が建つのです。フェールダムも私のプラン通りにしていたら、今頃、世界に類を見ない水のリゾートになっていたでしょう。投資も呼べたし、観光客も世界各国から訪れた。その経済効果は計り知れません。ところが、その価値をまるで解さず、元の田舎町に戻せと叫き続けたのが、あの男とデ・フローネンだ。無知な田舎者が繁栄の機会を台無しにしたのです。だが、突き詰めれば、あんなちゃちなアイデアを支持した大衆にも落ち度はある。田舎者同士、数百年先も畑を耕しておればいい。他市の繁栄を横目で見ながらね」

「ですが、その畑で採れたものを、あなたも口にしていらっしゃるのでしょう。なぜ田舎が、畑が、と見下すのです? 投資を呼べないのも愚かな方策かもしれませんが、大地をコンクリートで固めるのも同罪ですわ。もし世界中から田畑が失われたら、あなただって飢えることになるんですよ」

「やれやれ。あなたまで田舎思想に感化されたのですか。トリヴィアの工業界を代表するような家柄に育った子女なら、センスも見識も一流かと思っていました」

「私の方も、建築界の世界的権威なら、社会に対する配慮や責任感も人一倍かと思っておりました」

メイヤーはむっとしたように唇を突き出したが、
「お嬢さんの理想も分からないではないです。しかし、建築に限らず、世の中は複雑だ。こう建てたいと願っても、予算や、構造や、建築法規や、諸々の制約に阻まれ、完璧に自分の思う通りに出来上がることなど、まずない。それでも己の芸術を極めんと日夜研鑽しています。なぜなら、わたしもまたデザインを心から愛しているからです。ペネロペ湾のデザインを引き受けたのも、決して功名心ではありません。この海はユニークだ。しかも生まれたての赤ん坊のように脆くて幼い。それを一から描き直す。計り知れない手応えがありますよ」

「民意が反映されなくても、ですか?」

「民意の方が間違いの場合もありますよ、ミス・マクダエル。皆が皆、社会の必要性を正しく理解しているわけではないでしょう。フェールダムと同じように、その場の感傷だけで道を選ぶこともある。そして、何十年もの繁栄をふいにするのです。あなたのように大衆に同情するだけでは進歩も改革も到底望めません」

「ですが、アステリアに関しては、これまで好ましい環境の中で発展してきました。皆が従来の方策を求めるのは当然です」

「それはゼロから立ち上げて、右肩上がり只中に居たからでしょう。実際にはゼロが五〇になったに過ぎないのに、一〇〇以上のものを達成したと勘違いしている者もいる。勢いのあった頃だけを見て、『昔の方策が正しかった』と思い込んでいるのです。あなたもご存じのように、アステリアは地理的にもいずれ頭打ちになります。打破する道は一つしか無い。それは海洋空間の利用です。マリーナや埠頭とは規模の違う、都市空間の創出ですよ。わたしだって私利私欲の為だけにデザインを手掛けている訳ではありません。もしパラディオンが建設されれば、いずれあなたも感謝することになるでしょう」

「どうして、そう言い切れるのです?」

「莫大な資本が流れ込みます」

「既にそのような確約があるのですか?」

「わたしは無謀な賭けはしないタイプだ。見込みがあるか、否か、慎重に調べた上で判断します。下調べの段階で手応えを確信しただけで、確約とはまた別ですよ」

「仮に手応えがあったとしても、それは限られた富裕層の中での話でしょう。一般の人々はどうなります? 住む場所がなくて、危険な水上ハウスに住んでいる人たちや、公団に入居したくても空きが無く、高い家賃を払ってしのいでいる人たちは? いずれウェストフィリアの開発が本格化すれば、数千規模で労働者が入ってくるでしょう。その人たちは何所に住むのです? もし、あなたがパラディオンこそアステリアの真の救済策だと確信なさるなら、万人が納得するような答えを提示できるはずです」

「あなたは順序を勘違いなさってる。今アステリアに必要なのは新たな財源であり、有力な住人です。彼らは、市民一万人が十年かかってようやく稼ぐものを一夜で作り出すことができる。そして、彼らはエルバラードに代わる安全で快適な生活空間を欲しており、それを得るためなら十億でも百億でも投資を惜しみません。彼らが資産の多くをアステリアに移せば、それは回り回って、メアリポートの改修費になり、集合住宅の建設費となり、中小企業の支援金になります。庶民が蟻のように努力するより、よほど効率的だと思いませんか?」

「かつてトリヴィアも似たような理由で移住政策を拡大したことがありました。目先の利益だけで安価な労働力を掻き集め、その結果、社会の二極化と憎悪をもたらしたのです」

「トリヴィアが失敗したのは、技術も教養もない貧乏人が大量に流入したからでしょう。パラディオンとは根本的に異なりますよ。移住の目的も、人間の質も」

「それでも富が広く還元されるとは思いません。本当に人やお金が公平に流れるなら、トリヴィアも隅々まで潤い、とおの昔に社会全体が豊かになっているはずです。でも、現実には、一握の富裕層だけが空気までも買い占め、そうでない人たちは永久に這い上がれない社会の溝で、何代にも渡って苦しみ続けています。父が大勢の協賛を得て、アステリアの人々に希望を与えてきたのは、ここには還元があり、チャンスがあり、転んでも次の手がある安心感があったからです。それを壊せば、大衆は力を失い、パラディオンも失速させるでしょう。海は一つ、悪い波は必ず全体に及ぶからです」

「それも人間の質によりますよ。ファルコン・グループを筆頭とする旧閥には何かと暗い噂が多いが、ドミニク・ファーラーとて永遠の命を生きるわけではありません。トリヴィアも着々と代替わり進み、新しい価値観を持ったニューリーダーが新興派閥と手を組んで変革に乗り出している。わたしが顧客と定めるのは、そういう新しい人々です。同じ過ちが繰り返されるとは思いません」

「では、仮に新しい人々がトリヴィアに自由と公正をもたらしたとして、今アステリアで起きている用地不足や港湾施設の老朽化、技術者不足や零細企業の救済といった問題にはどう対処なさるおつもりですの。パラディオンが完成する数年先まで待つのですか」

「あなたの考えも極端だ。何も社会のリソースを丸ごとパラディオンに傾注しようというわけではないのですよ」

「でも、数兆エルクもの建設費がそちらに流れるのは確かですね」

「それはトリヴィアの財務省が調整することです。わたしが公費の振り分けまで指図するわけではありません」

「巧みに言い抜けなさるのね」

「では、あなたなら、どうなさいます? こうまでわたしのプランを批判されるからには、確たる構想をお持ちなのでしょうね」

「アステリアは一丸となるべきです」

「パラディオンも一つの円ですよ。建設されれば、何千、何万の住民が一つに結ばれる。工事に従事する間、人々は収入を得て、福利も保証される。富裕層が移住すれば、清掃、給仕、子守の需要も増える。失業の不安からも解放され、いいことづくめではないですか」

リズがぐっと声を詰まらせると、メイヤーは口の端を歪め、

「そういえば、面白いウェブサイトを目にしましたよ。『オーシャン・ポータル』といって、海の科学館みたいな情報サイトです。テキストのみならず、フォトギャラリーやビデオのコンテンツも充実して、素人サイトにしてはなかなかクオリティが高い。おまけに海洋土木と干拓の情報まであった。さすがに『緑の堤防』には言及してなかったが、こんな所でまだやっていたとは噴飯ものだ。あなたも相当に感化されているのでしょうね。わたしに疑惑のチューリップを贈るぐらいだ」

「素人が声を上げてはいけませんか」

「声を上げるなとは言ってません。あれほど痛い目に遭って、まだ学習できずにいるのが滑稽なだけです。身の程知らずもここまでくれば道化ですよ。本人はいたって真剣なのでしょうがね」

「大勢が支持してもですか?」

「あの田舎者にアステリアの大衆を説得する力があるとは思いません。ここはフェールダムとは違う。身内の共感は得られても、社会の支持を得るのは難しいでしょう。彼は理想だけで、具体策がない。自由、公正と叫ぶなら、小学生にもできます。まだあなたのお父上の方が実際的だ。あの地に多額の投資をして、あまたの事業を成功に導いた」

「でも、いずれ具体策を示すかもしれませんよ」

「どうやって? わたしに対抗して、ペネロペ湾の開発案をデザインするとでも言うのですか? それこそ愚の骨頂ですよ。『緑の堤防』もロイヤルボーデン社の広告用パースがあればこそだ。彼にそんな才があるとは到底思えない」

アイデアは何所からでも訪れます。無学でも、無資格でも関係ありません。父も海洋学は全くの素人でした。でも、世界で初めて実用的な海台クラストの採鉱プラットフォームを完成させましたわ」

「地位も資本もあればこそですよ」

「無くても、それに代わるものがあります。愛と信頼です」

すると、メイヤーは声を立てて笑い、

愛と信頼で人が動かせるなら、これほど容易いことはありませんよ。建築でも、下請けの工夫に綺麗に塗装させるのに、何度も同じ事を言って聞かせねばならないほどです。百の理想を説いて聞かせるより、小切手一枚切った方が早いんですよ。それが子供時代、わたしが学んだ処世訓です、ホテル『メイヤー&パーマー』の日常を通してね。何でも反対の田舎者にはこの世の道理など永久に理解できません。いまだに風と風車がパンをこしらえてくれると思ってる。十七世紀ならそれが国力だったかもしれませんが、今、あの低地に残ってるのは、老朽化した堤防といつ浸水するか分からない恐怖だけだ。なのに低地の田舎者はその現実を直視しようとせず、またも似たような干拓地を再建し、それが正義と酔いしれている。彼の父親も命懸けで堤防を守ったという話だが、わたしに言わせれば、堤防の脆弱性が分かった時点で、家族を連れて安全な高台に引っ越せば良かったんですよ。決壊寸前の堤防を守りに戻るなど、美談でも何でもありません。その判断ミスは棚に上げ、堤防修復に応じなかった自治体を非難し、わたしの作品は素人の付け焼き刃で批判する。彼は単なるルサンチマンの塊だ。芸術家でもなければ、政治家でもない

「あなたはどうなのです?」

「わたしは創造者ですよ。誰よりも現実を知っているプロデューサーです。わたしが手がけたプロジェクトは、いずれも現地に繁栄をもたらした。閑古鳥が鳴いていたリゾートは息を吹き返し、倒産寸前のホテルチェーンは劇的に売り上げを回復しました。奇抜さだけではないのですよ、ミス・マクダエル。私は建築物ではなく、社会そのものをデザインする。経済、政治、インフラ、娯楽、全ての要素を織り込んで、画期的なプランを作り上げます。どうぞ、その手腕を信じて下さい。彼の提唱する One Heart, One Ocean より、遙かに優れた海洋都市をデザインしてみせますよ」

「あなたに味方しろと仰るのですか」

「反対派は都市設計の何たるかも考えず、『総工費二十兆エルク』という金額に過剰反応しているに過ぎません。二十兆ではなく五千億の工事なら、ここまで文句は言わないはずです。第一、二十兆はあくまで試算であって、公式の数値ではない。実際にはそれ以下で収まるはずです。あなたもやみくもに既存社会を庇い、新しい価値観を敵視するのはお止めなさい。新しい目で見渡せば、いかにわたしが真っ当か、お分かり頂けるはずですよ」

あなたが真っ当なら、黙っていても多数の支持が得られるはずです。既存社会が立腹しているのはパラディオンそのものではありません。そこに込められた思想や手法に理不尽を感じているのです

「そうですか。これだけ言っても、まだお分かり頂けませんか。聡明なお嬢さんのことだから、自身の地雷も視野に入れた上で、慎重に振る舞っておられるものと思っていました」

「地雷ですって?」

<中略>

あなたが望む、望まざるにかかわらず、世間というのはそういうものです。偶像を引き摺りおろして泥まみれにするほど面白い見世物はない。あなたの友人だって、わたしに同じ事をしたではないですか。公衆の面前でわたしの作品をけなし、利欲の権化のように批判した。わたしの作品にも哲学はあります。田舎の価値観と相容れないだけで、わたしにもわたしなりの公共心があり、芸術への献身があります。それを貶められた屈辱をわたしも決して忘れはしない。だが、その屈辱も、あなたに協力いただけrるなら水に流してもいいと思っています。あなたは既存社会で影響力がある。あなたの口からパラディオンのメリットを説いて頂ければ、これほど有り難いことはない」

「脅迫なさるの」

「脅迫など、とんでもない。わたしはただ、お互いに解り合えないものかと道を探っているだけです。あなたの好きな共存共栄の精神ですよ。あなたも、もう少し利口になった方がいい。しかし、困った事があれば、いつでご相談に乗りますよ」

メイヤーはトルココーヒーを飲み干すと、黙って席を立った。

Product Notes

私が建築に興味をもったきっかけは、スペイン・バルセロナの建築家アントニオ・ガウディの『サグラダ・ファミリア』です。最初に伝記を読んで、それから作品集に目を通すようになりました。
今見ても不思議な色彩とユニークなフォルムで、建物がダンスしているような感じです。

その後、ル・コルビジェとか、フランク・ロイド・ライトとか、日本なら、安藤忠雄、丹下健三、黒川紀章、あの辺りの本を読んで、「ふむふむ」と思った次第。建築は芸術と公共性と二つの側面があって、「これが理想」というのは一口で語れません。

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下巻の冒頭部を収録した無料版PDFはGoogle Driveにあります。
閲覧は無料です。モバイルでも表示可能。

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最終更新日: 2018年5月21日 初回公開日:2017.10.07

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